インディーゲームが探求する非人間の「感じる」こと:多様な知覚と存在論が描く未来
ゲームは多くの場合、人間の視点、人間の身体感覚、そして人間的な時間軸や目的意識に基づいてデザインされています。私たちはキャラクターの目を通して世界を見、指先の操作でアクションを実行し、物語の始まりから終わりへと線形的な時間を体験します。しかし、この人間中心的な枠組みは、ゲームが表現しうる世界の多様性、そして存在の多様性を限定してしまう可能性を秘めています。
インディーゲームの分野では、この限界に挑戦し、人間以外の存在や異なる状態からの感覚、知覚、そしてそこから派生する存在論を探求する試みが数多く見られます。これは単にキャラクターの外見を変えるという話ではありません。世界を「どのように感じるか」「どのように認識するか」という、より根源的な部分に焦点を当てることで、ゲーム体験そのものの多様性を拡張し、私たち自身の知覚や存在に対する認識を問い直す機会を提供しているのです。
非人間的知覚表現の多様性
インディーゲームが描く非人間的存在の感覚・知覚は多岐にわたります。それは例えば、次のような探求を含んでいます。
植物や環境の静的、あるいは非線形的な知覚
生態系シミュレーションや、プレイヤーが植物や自然の一部として世界を見るゲームでは、人間的な時間スケールや個体の目的から離れた知覚が描かれます。季節の移り変わりを数秒と感じたり、数百年をかけて地形が変化するのを俯瞰したり。あるいは、ネットワーク化された菌糸体のように、個ではなく集合体として情報を感知・伝達する感覚。これらのゲームは、成長、腐敗、共生といったプロセスをゲームメカニクスに落とし込むことで、生命の異なるあり方、そしてそこでの「感じる」という行為の多様性を示唆しています。人間的なドラマや目標とは異なる、静かで永続的な、あるいは極めてゆっくりとした世界認識は、プレイヤーに新たな没入感や哲学的な問いをもたらすことがあります。
幽霊、AI、無機物などの非身体的、あるいは異質な身体性からの知覚
肉体を持たない幽霊や、デジタル空間に存在するAI、あるいは意思を持つ無機物といった存在の視点は、空間、時間、情報の認識を根本から変えます。壁をすり抜ける、複数の場所に同時に存在する、過去や未来の情報に容易にアクセスできる、感情を持たずに論理だけで世界を認識する、あるいは人間には感知できない電磁波やデータフローを感じる。インディーゲームの中には、こうした非人間的存在の知覚をゲームプレイの核とするものがあります。例えば、特定の記憶をたどることでしか移動できない幽霊のゲームや、監視カメラやネットワークを介してのみ世界を認識するAIのゲームなどです。これらの体験は、私たち自身の身体や五感がどのように世界認識を規定しているのかを浮き彫りにし、人間的なリアリティの相対性を提示します。
知覚そのもの、あるいは物理法則の歪みをテーマにしたゲーム
非ユークリッド幾何学に基づいた空間、重力や時間軸が常に変化する世界、あるいは視点によってのみ現実が変化するようなゲームは、感覚や知覚が環境と相互作用する中でいかに構築されるかを探求しています。これらのゲームは、私たちの脳が当たり前だと思っている知覚の仕組みを意図的に破壊し、混乱や驚き、そして新たな認識をもたらします。これは、人間が世界を「正しく」認識しているという前提への挑戦であり、異なる存在、あるいは同じ人間でも認知の仕方が異なる人々が、いかに多様な現実を生きているかへの想像力を刺激します。
開発者の哲学と多様性への貢献
こうしたインディーゲームの探求の背景には、開発者の強い哲学や、人間中心主義的な思考への問題提起があることが少なくありません。彼らは、既存のゲームデザインの慣習にとらわれず、特定のテーマや存在のあり方を深く掘り下げるために、独自のシステムや表現手法を模索します。
このようなゲームは、単に新しいゲーム体験を提供するだけでなく、プレイヤーに異質なものへの共感や理解を促す可能性があります。植物の成長速度で世界を感じることで、自然環境への新たな視点を得る。AIの論理的な知覚を体験することで、人間の感情的なバイアスに気づく。非現実的な空間をさまようことで、自身の認知の限界を知る。これらの体験は、自分とは異なる存在、あるいは異なる認識を持つ人々に対する想像力を養い、多様な価値観を受け入れる土壌を耕すことに繋がります。
ゲーム業界の多様な未来像へ
インディーゲームによる非人間的感覚・知覚の探求は、ゲームというメディアの表現可能性を大きく広げています。それは、単に物語やキャラクターの多様性を増やすだけでなく、世界そのものを「どのように感じるか」「どのように認識するか」という、体験の根幹における多様性を追求する試みです。
このような試みが積み重ねられることで、ゲームは人間体験のシミュレーションに留まらず、人間以外の存在や状態に対する想像力を育むツール、そして私たち自身の感覚や認知の仕組みについて哲学的に問いかけるメディアへと進化していく可能性があります。インディーゲーム開発者たちが切り拓く、非人間的な「感じる」ことへの探求は、ゲーム業界、ひいては私たちの社会が、多様な存在や視点と共に生きていくための新たな未来地図を描き出していると言えるでしょう。