インディーゲームが探求する『記憶』と『忘却』の多様性:認知と物語が織りなすゲーム体験の未来
ゲームはしばしば、積み重ねのメディアとして捉えられます。プレイヤーは経験を積み、スキルを獲得し、情報を記憶し、セーブデータとしてその進行を記録します。しかし、インディーゲームの領域では、「記憶」と、そして時には「忘却」という人間の根源的なテーマが、ゲームメカニクスや物語を通じて多様な形で探求されています。これらの探求は、単なるゲームプレイのバリエーションに留まらず、プレイヤーの認知や感情に深く作用し、ゲームというメディアの表現の多様性を拡張する未来を示唆しています。
なぜインディーゲームが、こうした「記憶」や「忘却」というテーマを深く掘り下げやすいのでしょうか。その理由の一つに、比較的小規模なチームによる開発が可能である点が挙げられます。これにより、開発者は個人的な経験や哲学、あるいは特定の社会テーマに基づいた、極めて内省的かつ実験的なアイデアをゲームという形で具現化しやすくなります。また、商業的な制約が少ないため、主流のゲームデザインでは扱われにくい、非線形な時間経過や、プレイヤーに情報を意図的に隠蔽・喪失させるようなリスクの高いメカニクスにも挑戦しやすい環境があると言えるでしょう。
ゲームメカニクスとしての「忘却」と「記憶」
ゲームにおける記憶の表現は、単にプレイヤーがゲーム内の情報を覚えることだけを指すのではありません。意図的に「忘却」をデザインに取り入れることで、プレイヤー体験に独自の深みをもたらすインディーゲームが存在します。
例えば、繰り返しプレイを前提とするローグライクジャンルは、ある意味で「プレイヤーの進行の忘却」をメカニクスとして内包しています。キャラクターレベルやアイテムの多くがリセットされることで、プレイヤーは毎回新たな状況に直面し、過去の経験(記憶)から学び、その知識を次の挑戦に活かそうとします。これは、失敗から学び、試行錯誤を繰り返すという人間の学習プロセスをゲームデザインとして表現していると言えるでしょう。
さらに、時間そのものがゲームの鍵となるタイトルもあります。『Outer Wilds』では、プレイヤーは22分間のタイムループを繰り返します。このゲームの進行は、プレイヤーが「何を記憶しているか」に依存します。宇宙の謎を解き明かすための情報は、ループごとにリセットされるゲーム世界ではなく、プレイヤー自身の頭の中にのみ蓄積されていきます。これは、データとしての記録よりも、プレイヤー自身の認知能力や探求心がゲームの核心となる、極めてユニークな「記憶」のゲームデザインです。開発者は、プレイヤーに「知識」こそが進歩の鍵であるというメッセージを、この斬新な時間と記憶のメカニクスを通じて強く印象付けています。
あるいは、『Disco Elysium』のように、プレイヤーキャラクター自身が過去の記憶を失っている設定を持つゲームもあります。プレイヤーは断片的な情報や内なる声に導かれながら、失われた自己の記憶を再構成しようと試みます。これは、アイデンティティの探求というテーマと、「記憶の回復」というゲームプレイが密接に結びついた例です。このゲームは、個人の記憶がどのように人格を形成し、他者との関係性に影響を与えるかという、心理学的な側面を深く掘り下げています。
物語とキャラクターにおける「記憶」と「忘却」
ゲームの物語やキャラクター描写において、「記憶」と「忘却」はより直接的に感情や共感に訴えかけます。インディーゲームは、しばしば個人的で繊細なテーマを扱うため、人間の心の中にある記憶や、喪失による忘却というプロセスを丁寧に描き出すことに長けています。
例えば、『Gris』は、大きな喪失を経験した主人公が、色を失った世界で感情(悲しみ、怒りなど)を取り戻していく旅を描きます。これは、トラウマや悲しい記憶と向き合い、乗り越えていく過程を美しいビジュアルと音楽で表現した作品です。ゲームプレイはアクション要素もありますが、その本質は内面的な癒しと記憶の再構築にあると言えるでしょう。開発者は、言葉を使わずに、プレイヤーの感情的な記憶に語りかけることを意図しています。
また、『Florence』のような物語性の強い作品は、恋愛関係における「記憶」の形成と変化をインタラクティブに描きます。出会いから別れ、そしてその後の日々まで、二人の間に積み重ねられた記憶や、関係性が薄れていく過程での忘却が、ミニゲームやコミックのような演出を通じて表現されます。これは、普遍的な人間関係における記憶の役割や、時の流れによる変化を、プレイヤー自身が追体験するような形で提示しています。
これらのゲームは、単に物語を語るだけでなく、ゲームメカニクスやインタラクションデザイン自体が「記憶」や「忘却」のテーマを強化しています。プレイヤーは情報を「記憶」することで謎を解き明かしたり、キャラクターの「忘却」を追体験したり、あるいは自身の過去の記憶や経験とゲーム内の出来事を重ね合わせたりします。
社会テーマと結びつく「記憶」と「忘却」
さらに踏み込むと、「記憶」と「忘却」は個人のレベルだけでなく、集団や社会のレベルでも重要なテーマとなります。歴史認識、文化の継承、あるいは過去の過ちやトラウマの記憶と向き合うことは、現代社会において喫緊の課題です。インディーゲームの中には、こうした社会的な「記憶」や「忘却」に光を当てる作品も存在します。
特定の地域の歴史や文化を題材にしたゲームは、過去の記憶を掘り起こし、プレイヤーに提示することで、その地域のアイデンティティや社会構造への理解を促します。また、災害や紛争といった出来事を描くゲームは、その出来事の記憶を風化させないための試みとも言えます。これらの作品は、ゲームというメディアが単なる娯楽ではなく、歴史の記録や社会的な記憶の担い手ともなりうることを示しています。
意図的に「忘却」された歴史の片隅に光を当てたり、主流の歴史観とは異なる視点から過去を描いたりするインディーゲームは、プレイヤーに批判的な思考を促し、多様な歴史認識の存在を提示します。これは、ゲームが社会的な対話や内省を促す強力なツールとなりうることを示唆しており、ゲーム業界の多様性を社会的な側面から拡張する重要な動きと言えるでしょう。
結論:多様な「記憶」と「忘却」表現が拓くゲームの未来
インディーゲームが探求する「記憶」と「忘却」の多様性は、ゲームというメディアの可能性を大きく広げています。ゲームメカニクスとして、物語の要素として、あるいは社会的なテーマのレンズとして、これらの概念が組み込まれることで、プレイヤーは単なる娯楽を超えた、深く、内省的で、そして時に挑戦的な体験を得ることができます。
ゲームが人間の認知、感情、社会的な記憶といった複雑な領域に踏み込むことで、ゲームはより成熟した表現メディアへと進化しています。インディーゲーム開発者たちの、こうした普遍的なテーマに対する果敢な探求は、ゲーム業界全体に対し、表現の幅を広げ、より多様なプレイヤー層に訴えかけるための重要なヒントを与えています。
記憶と忘却という、私たち人間が常に寄り添っている概念をどのようにゲームで表現しうるのか。インディーゲームの試みは、ゲームが描き出す未来の多様な風景に、新たな視点と深みを加え続けていくことでしょう。今後も、このテーマがどのように進化していくのか、注目に値すると言えます。